音楽

Katsuhiro Chiba(カツヒロ・チバ)『chromaticscapes』Maxで現実音を電子音に変換して制作されたアンビエント

進化および深化の目覚ましい電子音楽、アンビエントのなかでも、モジュラーシンセを操るモジュリストと並んで気になるのが、Maxユーザー(Max/MSPユーザー、M4Lユーザー)。
Katsuhiro Chibaさんの3rdアルバム『chromaticscapes』はMaxでフィールドレコーディング音源を電子音に変換するという特殊な方法で制作され、同じくMaxで独自に開発されたリバーブによって極上の残響を堪能できる作品に仕上がっています。


技術的な説明は追いつきませんが、たとえば「セミの鳴き声が使われているけれども、そのままの現実音ではなく電子音」という不思議な世界を覗いてみましょう。

はじめに


岩手出身、電子音楽家&サウンドデザイナーKatsuhiro Chiba(カツヒロ・チバ)さん。

chi.binaural – 3D Audio for Headphones / Virtual Hand Speakers


Satoshi Araiさん『街の窓』の紹介記事でも触れましたが、電子音楽を機材やソフトによる制作方法の違いでざっくり分類すると、「電子楽器、DTM(DAW)、モジュラーシンセ、Max」の4種類が考えられます。
そのうちプログラムソフトパッチ)を独自に開発(自作、プログラミング)できるビジュアルプログラミングソフトCycling ’74 MaxMax/MSP)のエクスターナル・オブジェクトオブジェクト=パッチの構成要素)として実装されているのが、Katsuhiro Chibaさんが開発したアルゴリズムリバーブchi.verb」(通称:チバーブ)。
同じくKatsuhiro Chibaさんが開発したバイノーラル・プロセッサーchi.binaural」(通称:チバイノーラル)では、ルームシミュレーターとしても使用されているとのこと。
Maxユーザー以外にとっては技術的に難しい話になるかと思われますが、上の動画をヘッドホンやイヤホンで聴くと、バイノーラル録音ではないのにDSPデジタル信号処理)によって立体音響に聴こえるチバイノーラル、残響のチバーブを体感できるでしょう。

chromaticscapes


3rdアルバム『chromaticscapes』(読み:クロマティックスケープス、2024年4月12日:tone on tone、流通:p*dis・Inpartmaint)は、全14曲・約42分。
Maxにより、全編フィールドレコーディング音源を電子音に変換して制作されたアンビエント作品です。

【1】tidal storm


フィールドレコーディング(以下、フィーレコ)によるアンビエントというと、電子音に鳥の鳴き声などのフィーレコ音が交ざるイメージですが、『chromaticscapes』ではフィーレコ音そのものは使われておらず、すべて電子音。
その電子音はフィーレコ音から変換された(フィーレコによる現実音を変換して自作した電子音で成り立っている)とのことです。
「tidal storm」(読み:タイダル・ストーム、意味:潮の嵐)は、Max/Jitter生成したというアルバムジャケットのアートワークを彷彿とさせる響き。
氷やクリスタルを連想したくなる透明度の高い風鈴ウィンドチャイム)のようなサウンドが、自作リバーブのチバーブによって美しい残響となり、音と音楽の狭間を漂います。

【2】signal


ウッドブロックと風鈴なのか、それとも鉄道の信号機なのか、音響信号処理やDSP(デジタル信号処理)のアルゴリズム(計算方法、処理方法、手順)を意味しているのか、やはり元のフィーレコ音はわからないけれども立体感がすさまじい「signal」(読み:シグナル、意味:信号)。
「自然の温もりや楽器演奏の身体性を兼ね備えたクールな電子音」と表現したくなる不思議なサウンドが展開されています。

【3】self-repair


物音コラージュ(コンクレート)的な「self-repair」(読み:セルフ・リペア、意味:自己修復)。
「バラバラになった機械の部品を組み立て、時計のねじを巻くと、心臓の鼓動が落ち着き、人間らしさを取り戻す」といった物語が浮かびます。
とくに心臓の鼓動みたいなズーンという響きのチバーブによって、心身の調子が整えられるような感覚を堪能できるのではないでしょうか。

【4】tabletop formation


「tabletop formation」(読み:テーブルトップ・フォーメーション、意味:卓上配置)も物音コラージュ的。
テーブルの上に並べられた食器の物音が電子音に変換されたのでしょうか。
あるいはMax上の「ウェーブテーブルの配列」をあらわしているのかもしれません。
ビブラフォン、マリンバ、サックス、ハープなど、似て非なる音色を想像することもできるものの、おそらくMaxのテーブルに描かれたと思われる唯一無二のサウンドに魅了されます。

【5】foamsphere


透明感あふれる電子音のレイヤーが美しすぎる「foamsphere」(読み:フォームスフィア、意味:泡球体、泡領域)。
人生や人間存在、世の中の物事を儚い泡に見立てると、疲れきった体もストレスのたまった心もすっと軽くなるような気がします。

【6】a bug on the train


「a bug on the train」(読み:ア・バグ・オン・ザ・トレイン、意味:電車内の虫、ウイルス、不具合)は、実際に電車内に紛れ込んだ虫の羽音が電子音に変換されたのでしょうか。
あるいは「ウイルス感染が危惧される満員電車」や「パソコン上の不具合」が表現されているのかもしれません。
詳細はわからず、想像を膨らませることになりますが、いずれにしても虫の羽音のようなサウンドがグリッチ的に散りばめられているにもかかわらず、むしろだからこそ極上の耳心地に仕上がっている点が秀逸です。

【7】the shipyard


インダストリアルレトロフューチャーサイバーパンクスチームパンクの雰囲気も漂う「the shipyard」(読み:ザ・シップヤード、意味:造船所)。
金属製とも木製とも判別のつかない独特の質感、禅的な間合い、そして美しい残響の虜になります。

【8】kicoeta


「kicoeta」(聴こえた)は、2ndアルバム『Kicoel』(2015年4月12日、tone on tone)を踏まえると、「聴こえた」と聴こえるはず。
そう意識すると、冒頭から全編におよんで「聴こえた」と空耳できるようでもあり、まったくの勘違いかもしれないと不思議な気分になります。

【9】route 3.4.9


シンギングボウルの響きを彷彿とさせる「route 3.4.9」(読み:ルート 3.4.9、意味:道路3・4・9号線)。
乗車中に道路灯が近づいては遠ざかる様子が表現されているような立体音響に癒されます。

【10】semi-life


ヒグラシの鳴き声が電子音に変換された「semi-life」(読み:セミ・ライフ、意味:セミの一生、半生)。


「セミの一生」は7日間、「人間の半生(セミ・ライフ)」は40年と考えると、貴重な時間を過ごせるありがたさが身に染みます。

【11】kitchen rituals


「kitchen rituals」(読み:キッチン・リチュアルズ、意味:台所の儀式、作法、ルーティン、日課)では、台所でのフィーレコ音が電子音に変換されたのでしょうか。
日常的な現実がこれほど美しい音に生まれ変わるのかと想像すると、心が洗われるようです。

【12】salt rush


「salt rush」(読み:ソルト・ラッシュ)は、11曲目「kitchen rituals」の「台所の塩」から1曲目「tidal storm」の「海の潮」を振り返り、「荒波」に巻き込まれるイメージなのかもしれません。
ときには冷淡なほど厳しい現実を突きつけてくる大自然も、日常生活の温もりにつながっていると考えると、心身が浄化されるようです。

【13】heading to tokyo


ひたすら残響が美しい「heading to tokyo」(読み:ヘディング・トゥ・トウキョウ、意味:東京へ向かう)。
音と音楽、電子音と現実音、大自然と日常、海と家など、さまざまな狭間をさまよい、そろそろ帰路につく展開のようです。

【14】after storm


ラストを飾る「after storm」(読み:アフター・ストーム、意味:嵐の後)。
実際に海で録音した波の音が電子音に変換されていたのか、音波波形を意味していたのか、謎めきながらも音響の美に没入できたのではないでしょうか。

おわりに

シンセキーボードと異なるのは音作り音の合成)ができる点にあり、その基本となる機能(要素、モジュール)は下記の3つ。

  • オシレーター:基本波形を作る発振回路、発振器(周波数領域:音程)
  • フィルター:波形を加工する回路、装置(周波数領域:音色)
  • アンプ:音量を変化させる回路、装置

上記を制御するエンベロープ(時間領域:音程、音色)、LFO(時間領域:低周波発振器)といった機能もあり、こうしたモジュール(シーケンサーミキサーエフェクターなども含む)を自由に組み合わせられる仕組みがモジュラーシンセの醍醐味でしょう。
音作りという観点からすると、電子楽器の進化版がモジュラーシンセ、DTMの進化版がMaxと考えられます。


Katsuhiro Chibaさんの『chromaticscapes』を存分に堪能するためには、「なぜ(どのように)Maxのオブジェクト(シンセ、リバーブ)やパッチ(シーケンサー、ミキサー、リバーブ以外のエフェクターも含む)を自作したのか?」といった技術的な面からアプローチしたほうがいいのかもしれません。
2ndアルバム『Kicoel』リリース時のインタビューで詳しく解説されているので、じっくりご参照ください。

松本昭彦『Ambient Works Book I』


「Maxを極めたいならここ!」ということで、MaxとAbleton Max for LiveM4L)ユーザー向けのイベント主催グループAMCJAbleton & Max Community Japan)運営者のひとり松本昭彦Akihiko Matsumoto)さんのアルバム『Ambient Works Book I』(2022年2月26日、Akihiko Matsumoto)もどうぞ。

fendoap『Everlasting Daisy』


AMCJのイベントにも出演しているfendoapさんのアルバム『Everlasting Daisy』(2024年1月3日、fendoap)や『Plain Music: Exploring Methods and Concepts』(2024年2月4日、時の崖)を聴くと、技術面を理解しないと話にならないと痛感しつつ、Maxの奥深さを体感することはできるでしょう。
さらに時の崖レーベル主宰者a0n0さんのアルバム『Underground Sea』(2023年3月18日)、時の崖からリリースされたpeeqさんのアルバム『oblique fold』(2024年2月18日)を聴くと、アンビエントのみならず実験音楽(エクスペリメンタル)もますますハードコアになっていることが伝わってきます。

atnr『Hyper Sobe』


広島出身、東京在住の作曲家&サウンドデザイナー&アプリ開発者atnrAtsunori Kihara)さんは、Bahía Mansa(バイーア・マンサ)とYama Yuki(ヤマユウキ)さんのコラボ作『Cartas Náuticas』の記事で紹介したアンビエントイベントTENbient #182024年4月27日阿佐ヶ谷 天)に出演。
アルバム『Hyper Sobe』(読み:ハイパー・ソーバー、意味:超シラフ、2023年4月3日、atnr.net)ではピアノ、ドローン、環境音が織り交ぜられ、お酒を飲まなくても音響そのものに酔いしれるような思考実験が展開されています。
多数アップされているYouTube動画の概要欄とX(Twitter)には端的な解説もあり、電子音楽の機材や制作方法の勉強に最適です(ガジェット系のほか、シンセ、モジュラーシンセ、生成AIChatGPTなどもあり)。

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渡辺和歌
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