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宇多田ヒカル『BADモード』J-POP史上、最高傑作!

これぞJ-POPの金字塔!と全世界に伝えたくなる、宇多田ヒカルさんの『BADモード』。
邦楽と洋楽の区別なく聴けるどころか、日本語ネイティブだからこそ堪能できるおもしろさも詰まっています。

はじめに


宇多田ヒカルさん(以下、ヒッキー)の8thアルバム『BADモード』(配信:2022年1月19日、CD:2月23日、LP:4月27日)は、現時点での「J-POP史上、最高傑作」ではないでしょうか。

Liner Voice+ 宇多田ヒカル「BADモード」


気の早い話ですが、第65回グラミー賞(2023年)にノミネートされるなら、カテゴリーはポップミュージック、R&Bのどちらか…などと期待が高まります。

Liner Voice+ Hikaru Utada「BAD MODE」


ダンスミュージックとしても秀逸で、ヒップホップやジャズの要素も楽しめますが、ロックやオルタナティブの様式美はほとんどなく、あらゆる意味でノイズを好む人にはピンとこないかもしれません。
パンデミックが時代の象徴として定着した昨今、「音楽に何を求めるか?」は人それぞれです。

ヒカルパイセンに聞け! 2022.02.23 part1


ただ、パンクの果てにアンビエントが出現したように、愛を歌うR&Bと心身ともに踊るダンスミュージックをポップ(大衆的)に昇華するアティテュード(姿勢)こそ、むしろオルタナティブでロック的

ヒカルパイセンに聞け! 2022.02.23 part2


10曲・54分あまりの本編に4曲のボーナストラックが加わった、全14曲・1時間13分あまりの至極の一時、個人的に最高と感じたポイントを綴ります。

【1】BADモード

キャリア初の公式バイリンガルアルバムということで、表題曲「BADモード」のタイトルと歌詞にも日本語と英語が混ざっています。
14曲中タイアップと無関係の新曲は3曲のみで、そのうちの1曲が表題曲。
パンデミックという時代性を音楽に反映させるか否か、どう表現するかは音楽家次第ですが、ヒッキーは「BADモード」と表しました。
シンプルかつ強烈な言葉で、マイケル・ジャクソンMichael Jackson)の7thアルバム『Bad』(1987年8月)および表題曲(1987年9月)を連想することもできます。
しかし「BAD」と連呼したり、情感たっぷりに歌い上げたり、激しくラップしたりするのではなく、心地いいリズム重視で、本来は重たい言葉の意味が軽く昇華されているところが「キング・オブ・ポップ」の進化形といえるでしょう。

いつも優しくていい子な君が
調子悪そうにしているなんて
いったいどうしてだ 神様
そりゃないぜ(中略)

絶好調でも BADモードでも
君に会いたい

出典:BADモード/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル、Jodi Milliner

「大切な人の調子が悪いとき、自分には何ができるか?」という内面が描かれていますが、パンデミックに対して「神様 そりゃないぜ」と嘆いたうえで(ブルース)、「ぜっこおちょお」と「ばっっもおど」でほんの少しリズムが揺れる韻を踏んでいるところが圧巻です。
どれほど調子が悪くても、ブルース(嘆き)よりリズム重視!
「R&Bの様式美である愛を紡いでいきますよ」という宣言のようです。
この表題曲が冒頭を飾ることで、続くシングルがアルバム収録曲としてすんなり収まる手腕もお見事!

メール無視してネトフリでも観て
パジャマのままで
ウーバーイーツでなんか頼んで
お風呂一緒に入ろうか

出典:BADモード/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル、Jodi Milliner

「ネトフリ」や「ウーバーイーツ」といった固有名詞が出てくるのはヒップホップ的手法。
ヒッキー自身、Netflixで観ることができる、アメリカのバトル系リアリティ番組『ル・ポールのドラァグ・レース』(2009年2月~)の出演者ママ・ルーことル・ポールの「自分を愛せなくて、どうやって他人を愛せるの?」といった言葉に触発されたそうで、自己愛やアクセプタンス(受容)などがアルバム全体のコンセプトになっています。

二度とあんな思いはしないと祈るしかないか

今よりも良い状況を
想像できない日も私がいるよ

出典:BADモード/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル、Jodi Milliner

現状に対して「祈るしかないか」と口にした後、サイレンのような音も響くなかお風呂に入りながら実際に祈り、浄化されるような時間が流れます。
アンビエントのマエストロでもある電子音楽家フローティング・ポインツのサウンドとともに寄り添ってくれるところが最高です。
ちなみにMVでは、ヒッキーはタクシーの後部座席に座っていて、飲み水がこぼれて部屋中にあふれだす夢を見るような物語が描かれています。

You know I’m bad at explaining
But lately I’ve done some maturing
Won’t you lean on me when you need
Something to lean on

出典:BADモード/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル、Jodi Milliner

クラブ・ヌーヴォーClub Nouveau)のカバー(1987年3月)などでも知られる、ビル・ウィザースBill Withers)の「Lean on Me」(1972年4月)も連想できます。

エンドロールの最後の最後まで
観たがる君の横顔が
正直言うと
僕の一番楽しみなとこ
楽しみなとこ

出典:BADモード/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル、Jodi Milliner

歌詞では「ネトフリで作品を最後まで観る」物語になっていますが、「曲の後半やアウトロ、アルバム本編に続くボーナストラックまで楽しんでね」というメッセージのようです。
歌モノ楽曲としてメロディーを追うだけでなく、楽器演奏やインスト部分もジャズやダンスミュージックのように楽しめるところが醍醐味
J-POPのお約束「Aメロ→Bメロ→サビ」という楽曲構成にしばられず、4つ打ちを基調としながらも後半になるにつれ変化する曲調はジャズのアドリブ的でもあり、オールナイトで紡がれるダンスミュージックが1曲に凝縮されたかのような濃密さも味わえます。

Hope I don’t f**k it up
Hope I don’t f**k it up again
Hope I don’t, don’t f**k it up again

出典:BADモード/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル、Jodi Milliner

実際は「BAD」やFワードを連呼したいほどストレスがたまっている人も多いはず。
それでも「自分には何ができるか?」と「自問自答」すると「祈るしかないか」という結論に達するのではないでしょうか。
最後にFワードが美しく響く祈りの歌でした。

【2】君に夢中

  • 宇多田ヒカル:ボーカル、キーボード&プログラミング、ボーカルレコーディング
  • A・G・クック:プログラミング
  • ジョディ・ミリナー:シンセベース
  • スティーヴ・フィッツモーリス:ミックス
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング

第6弾シングル「君に夢中」(2021年11月)はドラマ『最愛』(2021年10~12月)の主題歌。
タイアップ曲はタイアップ先のコンセプトを表現する必要があり、キャッチーさなどの強度が求められるためアルバムでは浮きがちですが、「君に夢中」を含め、続くタイアップ曲もまったく浮いていないどころか、アルバムの世界観を構成する収録曲として十二分に機能しています。
それは「BADモード」にアルバム全体のテーマ(自己愛など)や方向性(リズム重視で愛を歌うR&B)といった取扱説明書が盛り込まれていたからではないでしょうか。
そのためアルバムではタイアップ先を気にせず、純粋に音楽に没頭することができます。

君に夢中
Oh 人生狂わすタイプ
Ah まるで終わらない deja vu
バカになるほど 君に夢中

出典:君に夢中/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

まず「夢中」は「う・う・う」というリズムで、「狂わす、タイプ、デジャビュ」と語尾で韻を踏んでいるところがR&B経由のヒップホップ的。
そこへ「おー、あー」というソウル風の暑苦しさを漂わせる合いの手が入ります。
この「うー、おー、あー」の3連コンボという「バカになるほど」キャッチーなリズムで歌詞の世界観を表し、わかりやすさや覚えやすさといったシングル曲の条件を満たし、なおかつR&B、ヒップホップ、ソウルのブラックミュージックというヒッキーらしさも提示されています。
これだけでご飯3杯はいける離れ業!

完璧に見えるあの人も疲れて帰るよ
才能には副作用
栄光には影が付き纏う
オートロックのドアが閉まる
靴と鎧を脱ぎ捨てる
ここから先はプライベート

出典:君に夢中/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

ラップ調のフロウになるパートもあり、「う段」と「お段」で語尾をそろえるヒップホップ的手法も続きます。

心の損得を考える余裕のある
自分が嫌になります
今どこにいる?
すぐそこに行くよ
Oh baby, baby

出典:君に夢中/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

さらに「タラララ、タラララ」と繰り返される鍵盤でキャッチーなミニマルミュージックを表現し、「すぐそこに行くよ」で緩急をつけ、「Oh baby, baby」と「タラララ」のリズムがつながるところが神業です。
「こころのそんと・くをかんがえる」や「よゆうのあるじぶん・がやになります」という字足らず&字余り的な言葉のはめ方(歌詞の譜割り)もR&Bやヒップホップ的
重低音のシンセベースやビートとの対比や、倍速のテンポで緩急をつけながら歌うパートもある点など、聴きどころ満載です。

【3】One Last Kiss

  • 作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • プロデュース:宇多田ヒカル、A・G・クック
  • 宇多田ヒカル:ボーカル、キーボード&プログラミング、ボーカルレコーディング
  • A・G・クック:キーボード&プログラミング
  • ジョディ・ミリナー:シンセベース
  • スティーヴ・フィッツモーリス:レコーディング、ミックス
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング

アニメ映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年3月)のテーマソングとして書き下ろされた、第4弾シングル「One Last Kiss」(2021年3月)。


イントロがTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の「ヤシマ作戦」のBGM「DECISIVE BATTLE (E-1)」(OST『NEON GENESIS EVANGELION』1995年12月)や、アニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの戦闘シーンのBGM「Bataille Décisive (EM20)」(OST『EVANGELION INFINITY』2021年7月)の「デンデンデンデン ドンドン」のリズムに似ていると話題です。


映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんは、ドレイクDrake)「One Dance (feat. Wizkid & Kyla)」(2016年4月、4thアルバム『Views』)のアンサーソングと指摘しています。

初めてのルーブルは
なんてことはなかったわ
私だけのモナリザ
もうとっくに出会ってたから
初めてあなたを見た
あの日動き出した歯車
止められない喪失の予感

出典:One Last Kiss/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

冒頭からほぼ「あ段:始まり~あ段:終わり」の言葉が続き、頭のアクセントと「なかあった・わ」「であってたか・ら」「はぐる・ま」の跳ねる譜割りで「デンデンデンデン ドンドン」のリズムを踏襲しているのかもしれません。
さり気なく「初めて、なんてことは、私だけ、止められない」と「え段」でも韻も踏んでいます。
楽曲のテーマ「喪失」は「お段:始まり~う段:終わり」でこれまでの「あ~あ」との違いが際立ち、「そうしつ・のよか~ん」と区切ることで「おう、おあう(ん)」とすかされるイメージです。
いきなりメロディーのリズムと語呂がおもしろいうえに、数々の言葉遊びを感じさせないほど自然でわかりやすい歌詞になっていて、しかも楽曲全体の趣旨が端的にまとめられているところがすごいのに、自己顕示欲はなく控えめな印象。
人間活動(2011年1月~2016年3月)、母・藤圭子さんの死(2013年8月)、出産(2015年7月発表)などを経てなお成長し続ける大人の「余裕」が感じられます。

Oh oh oh oh oh…
忘れたくないこと
Oh oh oh oh oh…
I love you more than you’ll ever know

出典:One Last Kiss/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

サビの「おおおっお・おう、おおお・うおお、おおおっお」「おおおっお・おう、おおおお・お、おおお・う」はジャズのスキャットのようでもあり、ダンスミュージックのドロップにも相当するでしょう。
「喪失」の「お~う」や「デンデンデンデン ドンドン」のリズムも連想できます。
サビでほぼ歌わないのはJ-POPのお約束に反するものの、リズムでキャッチーさを生み出すことによりシングルやタイアップ曲の条件を満たし、さらにR&Bやヒップホップ、ジャズやダンスミュージックなどの音楽的なおもしろさをJ-POPファンにもわかりやすく伝えているところが挑戦的!
こうしたところにロック魂を感じます。

  • 邦楽:Aメロ→Bメロ→サビ
  • 洋楽:バース→ブリッジ→コーラス
  • ヒップホップ:バース→バース→フック
  • ダンスミュージック:バース→ビルドアップ→ドロップ

もう分かっているよ
この世の終わりでも
年をとっても
忘れられない人

出典:One Last Kiss/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

2番はハイパーポップの始祖A・G・クックのベーストラック入れ忘れというミスに、スティーヴ・フィッツモーリスがミックス段階で気づいたことから追加されたという、ジョディ・ミリナーの重低音のシンセベースのグルーヴも聴きどころ。
その後の曲調が変わるDメロは、ボーカルなどはあるものの4つ打ちのビートがなくなっているので、ダンスミュージックのブレイクに相当します。
続く大サビが楽曲全体のドロップとして最も盛り上がるパートです。
ラストにしっとりとしたボーカルが入ることで、大サビ以降をJ-POPのアウトロとして聞き流すのではなく、「ダンスミュージックとして最後まで楽しんで!」という意図が伝わってきます。

【4】PINK BLOOD

  • 作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • プロデュース:宇多田ヒカル、小袋成彬
  • スティーヴ・フィッツモーリス:レコーディング、ミックス
  • 小森雅仁:ボーカルレコーディング、ボーカル編集
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング

第5弾シングル「PINK BLOOD」(2021年6月)はTVアニメ『不滅のあなたへ』第1シリーズ(2021年4~8月)のオープニングテーマ。
友だちの家でピンクシャンパン(Pink Champagne)とブラッドオレンジ(Blood Orange)を混ぜたカクテルを飲んだ後に作り始め、その際につけた仮タイトルが歌詞の内容にも符合したので正式タイトルになったそうです。

誰にも見せなくても
キレイなものはキレイ
もう知ってるから
誰にも聞かなくても
キレイなものはキレイ
もう言ってるから

出典:PINK BLOOD/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

イントロから上記のAメロに入っても、タイトルを繰り返す、R&B然とした伸びやかなボーカルは続きます。

●・●・●・だれ
にも・みせ・●・なく
ても・きれい・●・なも
のは・きれい・●・もう
しっ・てる・から・だれ
にも・きか・●・なく
ても・きれい・●・なも
のは・きれい・●・もう
いっ・●・てる・から

そのためスタッカートで跳ねるボーカルは4拍子を刻むリズム隊の役割を果たしつつ、「誰、見せ、キレ(イ)、てる」と「え段」で韻を踏むことでヒップホップ的なニュアンスを醸し出し、なおかつメッセージ性の強い内容もしっかり伝えているという濃密さです。


ピアニスト・作曲家・プロデューサー・電子音楽家の中村浩之(NAKAMURA Hiroyuki)さんによると、上記AメロのポリリズムJ・ディラJ Dilla)やクリス・デイヴChris Dave)の影響が感じられるとのこと。
これほど複雑なリズムが盛り込まれているのに暑苦しいグルーヴにはならず、むしろゆらゆら揺れながらメロウに聴けるところに美学を感じます。

私の価値がわからないような
人に大事にされても無駄
自分のためにならないような
努力はやめた方がいいわ

出典:PINK BLOOD/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

R&Bらしくしっとり歌い上げるパートは、シンコペーションの効いた裏拍取り(裏打ち、バックビート)になっています。
スタッカートとタメ(もたり、粘っこさ)の落差がたまりません。
「Pink blood」というボーカルに左右のパンニングが入ってくるところも最高です。

サイコロ振って一回休め
周りは気にしないでOK
王座になんて座ってらんねえ
自分で選んだ椅子じゃなきゃダメ

出典:PINK BLOOD/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

最後にようやく登場するサビでも、「振って、休め、OK、らんねえ、ダメ」と語尾を「え段」でそろえているため、言葉そのものが音響的に心地よく響きます。
楽曲構成もJ-POPの王道ではなく、宇多田さんが「選んだ」音楽のおもしろさがてんこ盛りになっていること自体、「王座」のネクストステージを体現しているといえるでしょう。

【5】Time

  • 作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • プロデュース:宇多田ヒカル、小袋成彬
  • 宇多田ヒカル:ボーカル、キーボード&プログラミング
  • 小袋成彬:キーボード&プログラミング
  • ジョディ・ミリナー:Moog BassJuno Pad
  • ダレン・ ヒーリスDarren Heelis):アディショナル・ドラムプログラミング、アディショナル・レコーディング
  • スティーヴ・フィッツモーリス:ミックス
  • 小森雅仁:ボーカルレコーディング
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング


ドラマ『美食探偵 明智五郎』(2020年4~6月)の主題歌として書き下ろされた、第2弾シングル「Time」(2020年5月)。
「恋愛の枠に収まらない2人」について切なく歌い上げるところは、R&Bの様式美に則っています。
心地いい違和感を生み出しているのはタメの効いたビート
4拍子の2拍目と4拍目に入るスネアの4拍目が、16分音符分遅れています。
鍵盤やシンセベースなどの電子音楽も、歌モノ楽曲らしいボーカルと絶妙な違和感を醸し出したまま、それぞれドラマチックに盛り上がります。

ずっと
聞きたくて聞けなかった、気持ちを
誰を守る嘘をついていたの?

出典:Time/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

全体的に小袋成彬さんらしいベッドルームミュージックを彷彿とさせる音数の少なさで、間奏と続くサビではビートレスになり、ダンスミュージックのブレイク的な役割を果たします。

逃したチャンスが私に
与えたものは案外大きい
溢した水はグラスに返らない 返らない
出会った頃の二人に
教えてあげたくなるくらい
あの頃より私たち魅力的 魅力的

出典:Time/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

その後のDメロは、語尾を「い段」でそろえた明るいラップ調。
2人のすれ違いを肯定する内容に寄り添うように、4拍目のスネアが通常の裏打ちになります

友よ
失ってから気づくのはやめよう
時を戻す呪文を君にあげよう

If I turn back time
Will you be mine?
If I turn back time

出典:Time/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

現状を受け入れたうえで、最後に「もし時を戻せたら…」という本音が吐露され、4拍目のスネアもまた遅れます。
サウンドでも文字どおりタイム感が表現されているところがおもしろいですね。

宇多田さん自身の「Time」のポイントは、サビや間奏にサブリミナル的に極うっすら入る「たいあいあいあい・あいああ~ああ」というボーカルにあり、もともとはサビにするつもりだったそうです。
そのボーカルは抗がん剤治療中の友だちと一緒に聴きながら歌っている、ブータンのチベット仏教僧ラマ・ギュルメLama Gyurme)の「Medicine Buddha Mantra」(『Rain of Blessings: Vajra Chants (Real World Gold)』2000年3月)に影響を受けたとのこと。
2021年6月のインスタライブでノンバイナリーと公表した点も含め、R&Bらしいラブソングを歌っても「恋愛の枠に収まらない」人間愛や音楽愛が表現されているところが醍醐味でしょう。

【6】気分じゃないの (Not In The Mood)

  • 作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • プロデュース:宇多田ヒカル、フローティング・ポインツ
  • 宇多田ヒカル:ボーカル、ボーカルレコーディング
  • フローティング・ポインツ:キーボード&プログラミング、ピアノ
  • ジョディ・ミリナー:ベース
  • ベン・パーカー:ギター
  • アッシュ・ソーンAsh Soan):パーカッション
  • 宇多田ヒカルの長男:ボーカル
  • スティーヴ・フィッツモーリス:レコーディング、ミックス
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング

新曲「気分じゃないの」は宇多田さん初の「実話といえる曲」。
作詞中の音楽家がカムデンCamden)のパブで「自作の詩を買ってほしい」と頼まれる、不思議な体験が描かれています。
そもそもヒッキーは表現者として「実話そのままの歌詞はあり得ない」という考え方の持ち主。
毎年クリスマスの時期に落ち込みがちで2021年も急性胃炎になったそうですが、12月28日、作詞の締め切りに追われてロンドンを歩き回り、ルポルタージュ的に目に留まり意味を持ったものを描写することでかえって虚無感が浮き彫りになる方法にたどり着きました。
それでもリアルな心情をそのまま吐露するのではなく、ヒッキーの目線のみが存在することで独自の世界の見え方が表現されています。
フローティング・ポインツのピアノ演奏が映える、しっとりとしたR&B
そこへ語尾の母音の統一、固有名詞の挟み込み、リズム重視のフロウといったヒップホップ的手法、ジャズやアンビエント、IDMエレクトロニカのニュアンスも混ざります。
息子さんのボーカルも聴きどころですが、「気分じゃないムード」に浸ったところでカットアウトする潔さもおもしろいですね。

【7】誰にも言わない

  • 作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • プロデュース:宇多田ヒカル、小袋成彬
  • 宇多田ヒカル:ボーカル、キーボード&プログラミング、ボーカルレコーディング
  • 小袋成彬:キーボード&プログラミング
  • ベン・パーカー:ギター
  • ウィル・フライ:パーカッション
  • ソウェト・キンチSoweto Kinch):サックス
  • スティーヴ・フィッツモーリス:レコーディング、ミックス
  • Marek Deml:レコーディング、アディショナル・ボーカルレコーディング
  • ダレン・ ヒーリス:ボーカルレコーディング・アシスタント、アディショナル・エンジニア
  • Matt Jones:アディショナル・エンジニア・アシスタント
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング

サントリー天然水「光も風もいただきます。」篇(2020年4月~)のCMソングに起用された、第3弾シングル「誰にも言わない」(2020年5月)。
シングルリリースの段階でも、音数が少ない「R&B+電子音楽」中心の「Time」と、サウンドがレイヤーされた「R&B+生楽器」中心の「誰にも言わない」の対比が話題になりました。
アルバム全体では生楽器も適度に配置されつつ、電子音楽・ダンスミュージック寄りになっているので、生楽器(パーカッション、サックス、ギター)の比重が大きい「誰にも言わない」は少々異質です。
欲望に忠実なラブソングというR&Bの王道を描きながら、ジャズ、アンビエント、エレクトロニカ、ヒップホップの要素も混ざっています。
スクエア16ビートと跳ねる3連符のリズムの組み合わせが特徴的。
浮遊感を漂わせながらミニマルに展開していき、雰囲気が変わる後半まで心地いいサウンドに酔いしれることができます。

【8】Find Love

  • 作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • プロデュース:宇多田ヒカル、小袋成彬
  • 宇多田ヒカル:ボーカル、キーボード&プログラミング、ボーカルレコーディング
  • 小袋成彬:キーボード&プログラミング
  • スティーヴ・フィッツモーリス:ミックス
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング

「Find Love」は資生堂のブランド「SHISEIDO」のグローバルキャンペーン「POWER IS YOU」(2021年7月~)のキャンペーンソング。
R&Bらしいボーカルとハウスサウンドの融合がかっこいい、全編英語詞のナンバーです。

Live ver.

【9】Face My Fears (Japanese Version)

  • 宇多田ヒカル:ボーカル、アディショナル・ドラムプログラミング
  • スクリレックス:プログラミング、ミックス
  • ジョディ・ミリナー:シンセベース
  • ルーベン・ジェームス:ピアノ
  • クリス・デイヴChris Dave):パーカッション
  • トム・ノリスTom Norris):アディショナル・ドラムプ
  • グラミング、ミックス
  • スティーヴ・フィッツモーリス:アディショナル・楽器レコーディング
  • 小森雅仁:ボーカルレコーディング
  • ランディ・メリル:マスタリング

ディズニーとスクウェア・エニックスのコラボによるアクションRPG『キングダム ハーツIII』(2019年1月)のオープニングテーマとして書き下ろされた、第1弾シングル「Face My Fears」(2019年1月)。
宇多田さんとしては珍しく、EDMの人気DJスクリレックス、ジャスティン・ビーバーJustin Bieber)のプロデュースなどで知られるプー・ベアと作詞・作曲の曲作りでもコラボしています。
スクリレックスはポストハードコアスクリーモバンド、フロム・ファースト・トゥ・ラストFrom First to Last)のボーカル、ソニー・ムーア(Sonny Moore)としても活躍し(2004年~2007年、2017年~)、2010年代にダブステップから派生したブロステップの第一人者になりました。
もともとヒッキーと「キングダム ハーツ」の大ファンでしたが、2012年にドイツのフェス「ロック・アム・リング」で、メタリカMetallica)の5thアルバム『Metallica』(通称:ブラック・アルバム、1991年8月)のフルプレイを聴きに行ったヒッキーと友だちになったというエピソードが興味深いですね。
こうした背景を踏まえると、ミニマルなピアノ、エモーショナルなボーカル、フィルターのかかったフューチャーベース、1拍目のキックと3拍目のスネアが特徴的なブロステップの融合にロック魂を感じるのは自然な流れなのかもしれません。
「地図に載っていない」というか、歌詞に載っていない「ふがや・ふがや・ふがわがや・ふがや・ふがわがや」という謎めいたボーカルはおそらくどこの国の言葉でもないのでしょう。
『キングダム ハーツII』のテーマソング「Passion」(2005年12月)とキーが同じ、シリーズのメインテーマ、下村陽子さん作曲の「Dearly Beloved」とコードが同じという点も凝っています。

【10】Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺り-

  • 作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • プロデュース:宇多田ヒカル、フローティング・ポインツ
  • 宇多田ヒカル:ボーカル、キーボード&プログラミング、シェイカー電子ドラムKORG WAVEDRUM)、ボーカルレコーディング
  • フローティング・ポインツ:キーボード&プログラミング
  • ウィル・フライ:パーカッション
  • スティーヴ・フィッツモーリス:ミックス
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング

新曲「Somewhere Near Marseilles」はアルバム本編のラストを飾る、約12分の大作

I’m gonna give it to you
I’ll get a room with a view

Let’s go fast, then go slow
Not too far, not too close

オーシャンビューの部屋一つ
オーシャンビュー 予約
オーシャンビューの部屋一つ
予約 予約

出典:Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺り-/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

語尾の「う段」の語呂の良さや、ヒッキーが初めて振っているシェイカー(パーカッショニストのウィル・フライにもらったもの)も聴きどころです。
ヒッキーが作ったデモは4分弱だったそうで、とくに後半はフローティング・ポインツの仕事。
南仏マルセイユらしい温もりとラテンフレーバーも漂うダンスミュージックです。

【11】Beautiful World (Da Capo Version)

  • 作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • プロデュース:小袋成彬、宇多田ヒカル
  • 宇多田ヒカル:ボーカル、アディショナル・キーボード&プログラミング
  • 小袋成彬:キーボード&プログラミング、ボーカルレコーディング
  • ジョディ・ミリナー:ベース
  • ベン・パーカー:アコースティックギター
  • ルーベン・ジェームス:ピアノ
  • 坂東祐大:ストリングスアレンジ、指揮
  • Ensemble FOVE:ストリングス
  • Nobuaki Tanaka:アディショナル・プログラミング
  • スティーヴ・フィッツモーリス:レコーディング
  • 小森雅仁:ストリングスレコーディング
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング

ここからボーナストラック!
「Beautiful World (Da Capo Version)」は「One Last Kiss」に続く、アニメ映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』2番目のテーマソングです。
アニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007年9月)のテーマソングBeautiful World」(2007年8月)をリメイクした自身初のセルフカバーで、EP『One Last Kiss』(2021年3月)にも収録されています。
ダ・カーポ」は「最初に戻る」という意味の反復記号なので、リメイクとはいえゼロから作り直したという意味でしょう。
アコギがフォークっぽく響くところはフォークデュオのダ・カーポのようでもあり、藤圭子さん風の演歌やブルースっぽい歌い方も混ざっている感じがします。
世界的なシティポップ・リバイバルを踏まえつつ、完全には乗っからないところがヒッキーらしいですね。

【12】キレイな人 (Find Love)

  • 作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • プロデュース:宇多田ヒカル、小袋成彬
  • 宇多田ヒカル:ボーカル、キーボード&プログラミング、ボーカルレコーディング
  • 小袋成彬:キーボード&プログラミング
  • スティーヴ・フィッツモーリス:ミックス
  • 齊藤祐也:ボーカル編集
  • ランディ・メリル:マスタリング

「Find Love」の日本語バージョン「キレイな人」についてヒッキーは「同じ譜面でもゲシュタルト崩壊するくらい印象が違う」とコメントしています。
歌詞の内容も異なり、日本語バージョンでは2ndシングル「Movin’on without you」(1999年2月)と同じく、童話『シンデレラ』がモチーフ。

もういい女のフリする必要ない
自分の幸せ 自分以外の誰にも委ねない

出典:キレイな人 (Find Love)/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

23年の時を経て、「いい女のフリ」は「まだ早い」から「必要ない」に変わりました。

【13】Face My Fears (English Version)

  • 作詞・作曲・プロデュース:スクリレックス、プー・ベア、宇多田ヒカル
  • 宇多田ヒカル:ボーカル、アディショナル・ドラムプログラミング
  • スクリレックス:プログラミング、ミックス
  • ジョディ・ミリナー:シンセベース
  • ルーベン・ジェームス:ピアノ
  • クリス・デイヴ:パーカッション
  • トム・ノリス:アディショナル・ドラムプログラミング、ミックス
  • 小森雅仁:ボーカルレコーディング
  • ランディ・メリル:マスタリング

日本語バージョンと同じく、英語バージョンも『キングダム ハーツIII』のオープニングテーマ。
ひたすらかっこいいです。

Live ver.

【14】Face My Fears (A.G. Cook Remix)

  • 作詞・作曲:スクリレックス、プー・ベア、宇多田ヒカル
  • プロデュース・リミックス:A・G・クック

ピアノのアルペジオボーカルチョップリバーブのかかったリフレインが強調されたA・G・クックのリミックス。
アルバム全体を通して聴き、ラストに至るとカタルシスに達し、浄化が起こった気がして感極まります

おわりに

気分が晴れないときは音楽が救いになる人も多いでしょう。
とことん落ち込む、ストレスを発散するべく騒ぐ方法もありますが、楽器を演奏したり、音楽を作ったり、心身ともに踊るほうが前向きな人生になりそうです。
そのあたりの微妙なニュアンスをポップに表現しているのが、ヒッキーの『BADモード』ではないでしょうか。
14曲目のリミックス以外の13曲はすべてカラオケに入っているので歌うこともできますが、どれもメロディーの音程・リズム・アクセントを取るだけで大変!
ボーカルアシストやガイドボーカル機能を使っても原曲のおさらいが必要になり、ヒッキーのようにスキャット混じりで力まず歌えるようになるのはいつの日か…(遠い目)というくらい歌い甲斐があり、メロディー・ハーモニー・リズムすべての圧倒的な才能に惚れ込むばかりです。
デビュー当時から別格のようなポジションで飄々とやりたい音楽を生み出している印象がありますが、キャリアを重ねるごとに最先端を更新し続けるクリエイティブぶりにパワーがみなぎります

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渡辺和歌
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