音楽

H.Takahashi『Escapism』現行アンビエント最注目作家の傑作が再発

Kankyo Recordsのオーナーでもあるアンビエント作家H.Takahashiさんの『Escapism』は、穏やかな現実逃避を促してくれる瞑想的な名盤です。

はじめに


1986年生まれ、東京・三軒茶屋出身の作曲家(アンビエント作家)、建築家、レコード店&レーベルKankyo Records(三軒茶屋)主宰者、H.Takahashi(Hiroki Takahashi、高橋博輝)さん。

Escapism


アルバム『Escapism』(カセットテープ・デジタル:2018年9月28日、Not Not Fun)は、全6曲・32分。
発売5周年を記念して、リマスタリング&再発された輸入盤LP(2023年11月3日、Not Not Fun)は、ボーナストラック「Sightseeing」と「Watching The River」の2曲を含む、全8曲・40分あまりです。
これまでにベルギーの電子音楽家David Edren(デヴィッド・エドレン)とのコラボアルバム『Flow | 流れ』(2023年2月10日、Aguirre Records)、参加作品としてカナダ在住のアンビエント作家Masahiro Takahashi(マサヒロ・タカハシ、高橋政宏)さんの5thアルバム『Humid Sun』(2023年3月31日、Telephone Explosion)を紹介しましたが、今回は5年前にリリースされた自身名義のソロアルバム。
5年の歳月を経てもまったく色褪せないどころか、どの時代にどのような環境で聴いてもしっくりきそうな不思議な魅力を放っています。

クレジット

【1】Escape


「現実逃避」をあらわすアルバムの1曲目は「逃げる」という意味の「Escape」。
H.Takahashiさん自身、「喧騒と静けさを繰り返す都市の様相」から着想を得たとのことですが、ポジティブにもネガティブにも解釈できる「現実逃避」の捉え方そのものに一石を投じるような不思議なサウンドが展開されています。
シンセのメロディー、エキゾチカっぽいトロピカルなウワモノ、ポップなビート、ねちっとしたグリッチなどがミニマルに繰り返されつつ、微妙に変化していく8分間。
おもちゃ箱をひっくり返し、童心に帰ったようなかわいらしい音色のなかに、ひそかにグリッチが交ざり、ポリリズム的なおもしろさも見え隠れする遊び心が感じられます。
「騒がしい現実を抜け出して、キラキラした幻想に浸ろう」という趣旨のはずですが、衝動的な感情とは無縁。
「現実と幻想」や「有機と無機(生命と物質)」など、あらゆる対極の中間を飄々と漂う痛快さがH.Takahashiさん流の「現実逃避」なのかもしれません。

【2】Crystal


「クリスタル」(水晶、結晶)のようにきらめく2分弱の「Crystal」。
オーガニック(有機的)なアコースティック楽器による演奏ではなく、一般的に無機的とされる電子音楽のはずですが、ビブラフォンやマリンバ、ハープ、口笛あるいは篠笛のような温もりを感じる音色に癒されます。
多層的なキラキラ系サウンドにもかかわらず、想起させられるのは近未来的な宇宙空間というより、ノスタルジックで牧歌的な桃源郷。
終始、穏やかで静謐、かわいらしく無邪気なサウンドに、時空を超越する音楽のありがたさを痛感させられます。

【3】Sink


「Sink」は「海に沈む」イメージでしょうか。
ウェットスーツやタンクなどを身に着けてスキューバダイビングをする感じかもしれませんし、潜水艦に乗る想像もふくらみそうです。
ミニマルなシンセのメロディー、鼓動のようなビート、シンセのドローンが交錯し、瞑想的な6分半が展開されます。
「海に沈む」ように、自らの「深層心理と向き合う」ことも可能でしょう。
全身に張り巡らされた神経細胞、心臓を起点とする血液循環、深い呼吸などを表現しているようにも感じられるサウンドに導かれ、生きている実感を再確認できるかもしれません。

【4】Warp


いよいよ宇宙空間へと「ワープ」(SF的な超光速移動)するような「Warp」。
そもそも電子音楽はSF的な世界観と非常に相性がいいと思われますが、サイバーパンクレトロフューチャー的な懐かしさを漂わせつつ、あくまでも優しく暖かい音色で、ディストピア(反理想郷、暗黒世界)に浸る誘惑は超越しているようです。
悲観もせず、ユートピア(理想郷)ばかりを追い求める過度な楽観主義にも陥らない、穏やかで淡々とした心持ち。
遠くで鳴り響くティンパニっぽいサウンドは、宇宙や生命の起源のような根源的な何かをあらわしているのでしょうか。
いつのまにか騒がしい日常生活からすっかり「現実逃避」していることに気づかされます。

【5】Sustainable


国際社会共通の目標SDGs(エスディージーズ、持続可能な開発目標)の「S」(サステナブル、持続可能な)に相当する「Sustainable」。
H.Takahashiさんは建築家としてもアンビエント作家(環境音楽家)としても、持続可能な社会づくりに取り組んでいることでしょう。
短期的に消費される(ヒットしても、すぐに飽きられる)音楽ではなく、長期的に繰り返し聴き続けられる音楽を目指す意味合いも含まれるはず。
そのうえでミニマルな反復やドローン的な持続音をあらわしていると考えられます。
グリッチやドローンはそもそもノイズの一種として発展してきた経緯があり、暗め重めの音色が真骨頂ですが、さりげなくかわいらしいミニマルサウンドと共存させることで心地いい違和感を醸し出しています。
宇宙と交信するような不思議な感覚を覚えるかもしれません。
地球全体、あるいは宇宙全体まで視野に入れた、持続可能な社会を体現する音楽として、長く聴き続けられるのではないでしょうか。

【6】Embryo


」(エンブリオ、人間の場合は胎児と呼ばれる前の受精後8週まで)という意味の「Embryo」。
マリンバみたいなポコポコしたかわいらしいサウンドやビブラフォンっぽい金属的な音色は、生命の神秘を表現しているのかもしれません。
太古の昔と持続可能な未来社会が同時に存在するような不思議な感覚に陥ります。
「現実逃避」して「クリスタル」みたいにきらめいたり、「海に沈む」想像をふくらませたり、宇宙に「ワープ」してみても、「すべてはつながっている=持続可能」と気づき、「命のありがたさ」に感謝しつつ現実に戻る構成でしょうか。
瞑想体験そのもののような傑作アルバムでした。

おわりに

H.Takahashi & Jesus Weekend名義の2本組カセットテープ『LIVE at SHISEIDO GALLERY』&『Music for ’70s Shiseido Magazine Ads』(2023年10月12日、Kankyo Records)も、現行アンビエントシーンにおいて異次元を浮遊するような傑作です。
「アンビエント(環境音楽)によって何を表現したいか?」といった根源的なところにエゴがなく、タイアップ作品でも音楽性は揺るがず、むしろドローンやフィールドレコーディングなどによるレアなライブ盤&新譜として、進化および深化していることに驚かされます。
Bandcampで試聴して購入する、もしくはカセットテープを購入するという音楽通好みの聴取方法になるため末尾での紹介に留めましたが、同時代に生きる喜びを体感できる快作といえるでしょう。
穏やかな音楽という性質上、爆発的な衝撃を受けることはないかもしれませんが、じんわり心身に浸透し、いつのまにか浄化され、そもそも歓喜に包まれていたことに気づかされるはず。
そうした内面の美と出会う旅に出かけてみてはいかがでしょうか。
また、資生堂作品や『Escapism』のほかにも名盤ぞろいなので、ディスコグラフィを参考にじっくりご堪能ください。

ザ・ヴァーノン・スプリング『Earth, On A Good Day』


UKロンドンのピアニスト、ザ・ヴァーノン・スプリングThe Vernon Spring)のアルバム『Earth, On A Good Day』(2022年9月28日、Lima Limo Records)もどうぞ。

ディスコグラフィ

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