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米津玄師「さよーならまたいつか!」歌詞の意味&サウンドを考察!朝ドラ「虎に翼」主題歌

NHK連続テレビ小説「虎に翼」(2024年4月1日~)の主題歌、米津玄師さん「さよーならまたいつか!」(2024年4月8日、Sony Music Labels)の歌詞の意味とサウンドについて考察します。

【1番Aメロ】わたしは誰?

どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった
見上げた先には燕が飛んでいた 気のない顔で

もしもわたしに翼があれば 願う度に悲しみに暮れた
さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないで

さよーならまたいつか!/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

Tomi Yo(トオミヨウ)さんも参加したアレンジが印象的なイントロに続く「1番Aメロ」。
この楽曲の登場人物は2人、語り手の「わたし」、そして曲名でもあり、サビの歌詞としても出てくる「さよーならまたいつか!」と語りかける相手「あなた」です。
ただ、この「わたしは誰なのか?」は悩ましいところ。
もちろん、朝ドラ「虎に翼」主題歌ということで、伊藤沙莉(いとうさいり)さん演じる主人公の寅子(ともこ)、あるいは米津玄師さん自身のどちらか二択に絞られます。
朝ドラは1975年以来、春スタートの前期(東京制作)と秋スタートの後期(大阪制作)の1年度あたり2作(半年で1作)制作になっていて、春スタートの「虎に翼」を連想させる「春、翼」が散りばめられているので、「わたし=寅子」でしょうか。
ちなみに、ドラマのタイトル「虎に翼」は「鬼に金棒」と同義(強いものに一層の強さが加わる無敵状態)のことわざ(中国の法家、韓非子の言葉)です。
日本初の女性法曹(弁護士、判事、家庭裁判所長)三淵嘉子さんをモデルとしたオリジナルドラマの主人公として奮闘する寅子。
100年先の再会を願う相手は、仲野太賀さん演じる優三でしょうか。
弁護士になることを諦め、戦場に駆り出された優三と渡り鳥の燕が重なったのかもしれません。
あるいは、「燕(つばめ)」と韻を踏みつつ「翼(つばさ)」を引き合いに出すあたり、「わたし=米津玄師さん」のような気配も漂います。
ボカロPのハチさんとして音楽活動を始め、「夜中に生きる」と自称する米津玄師さんが、春スタートの朝ドラ(約100年前という設定の物語)主題歌を担当するにあたり、「寅子=燕=あなた」に思いをはせたとも考えられるでしょう。
ただし、正解は「寅子に同化した米津玄師さん」、つまり「わたし=寅子」とのこと。
米津玄師さんはこの楽曲を制作した当時、ドラマのスタート時期が春とは知らなかったそうです。
映像作家&映画監督の山田智和さんが撮影した新しいアーティスト写真で、米津玄師さんが三つ編みにしている点を踏まえると、「寅子に同化して主観的に描いた」ことが腑に落ちる気がします。
この時点で「燕=あなた」が優三かどうかは確定していないので、後ほど考察しましょう。

【1番Bメロ】抑圧からの解放を表現する翼

いつの間にか 花が落ちた 誰かがわたしに嘘をついた
土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった

さよーならまたいつか!/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

米津玄師さんが寅子になりきり、「虎に翼」の物語を主観的に描いたとすると、「花が落ちた」は「戦死」、「嘘をついた」は「戦死の知らせを隠された」エピソード、「土砂降り=戦場」を連想するのではないでしょうか。
そのため寅子が「虎に翼」の「翼」のような「力」を欲したイメージです。
米津玄師さんとしては「虎」も「翼」も「力」の象徴でありつつ、その「力」の先にある「抑圧からの解放」を表現したとのこと。
そうすると「1番Bメロ」で描かれているのは、上記のエピソードに限らず、寅子の生き方全般になるのかもしれません。

【1番サビ】なぜ「さよーなら」と伸ばす表記なのか?

誰かと恋に落ちて また砕けて やがて離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!

さよーならまたいつか!/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

朝ドラ主題歌として「毎朝聴きやすいように」と、幅広い世代の人がわかりやすいJ-POPになっている「さよーならまたいつか!」。
ところどころ挟まる和風テイスト(民謡調のニュアンス)はハチさん時代からの米津玄師さんの特徴というか、ボカロ全般に見受けられる手法と思われますが、朝ドラ主題歌としても相性がいいようです。
コード進行も言葉遣いも全体的にお行儀がいいなか、急に(はたと)「血が滲(にじ)んで」とハードボイルドになりますが、ドラマが戦中・戦後の物語なので、ハッとさせられつつ、なんとなく納得する感じでしょう。
続く「唾(つば)を吐(は)く」もお行儀が悪い行為ですが、その対象が「空(そら)」であれば、誰にも迷惑をかけず、自分に返ってくるだけなので、問題はありません。
こうした2回のジャブを経て、放たれるカウンターパンチが「知らねえけれど」です。
「はたと=突然、急に」という古風な言葉での前振りもあり、くだけた話し言葉とのギャップが際立ちます。
王道のわかりやすいJ-POPを心がけつつ、その範疇で米津玄師さんの本性が暴れ出したと見せかけて、実は「ひゃくねーんさきも、おぼえーてるかな、しらねーけれど」とシャッフルのリズムで韻を踏むという音楽的な遊びが展開されていました。
その流れで止めを刺す決めフレーズが曲名でもある「さよーならまたいつか!」なので、このリズム遊びに気づきやすくするため伸ばす表記にしたのではないかと深読みしたくなります。
ただし、実際は「抑圧からの解放」の「軽やかさ」を表現するためのようです。
そう考えると、寅子と優三が100年先に再会するラブソングというより、この100年間で女性弁護士が珍しくなくなったことが描かれているとも受け取れるでしょう。
あるいは、米津玄師さん自身がこの朝ドラ主題歌を100年後に覚えている人はいるだろうかと問いかけている気もします。

【2番Aメロ】種田山頭火の俳句をオマージュする真意

しぐるるやしぐるる町へ歩み入る そこかしこで袖触れる
見上げた先には何も居なかった ああ居なかった

さよーならまたいつか!/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

2番に入り、「1番サビ」のくだけた話し言葉を反省したかのように、種田山頭火さんの俳句「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」に対するオマージュ表現が飛び出しました。
「時雨(しぐれ)」は「晩秋から初冬にかけての通り雨」のこと。
1番の季節は春、見上げると「燕」が飛んでいましたが、2番の通り雨が降る冬の「町」ではもう「燕」は飛んでいないようです。
俳句と同じく、季節や風景を引き合いに出して人物の行動を描写することにより、その際の心情が表現されていると考えられます。
このパートでは、孤軍奮闘する寅子を思い浮かべることができるでしょう。
米津玄師さんは「虎に翼」の物語と種田山頭火さんの俳句が意味的に重なりつつ、「しぐるるやしぐるる」の語感(言葉の響き)にも魅かれたそうです。
くだけた話し言葉も、古風な言葉も、音響的なおもしろさで使っているとすると、何も反省する必要はなかったのかもしれません。
寅子になりきっているはずの米津玄師さんの音楽に対する思いも読み取れるような気がします。

【2番Bメロ】地獄の先に見る春とは?

したり顔で 触らないで 背中を殴りつける的外れ
人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る

さよーならまたいつか!/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

さわやかな朝ドラ主題歌らしからぬ表現として、これまでに「1番サビ」の「血が滲んで、唾を吐く、知らねえけれど」に注目してきましたが、この「2番Bメロ」で突きつけられる「人が宣(のたま)う地獄」こそ極めつけといえるかもしれません。
「宣う」は本来「言う」の尊敬語で「おっしゃる」という意味ですが、現代では「偉そうに言う、ほざく」と皮肉を込めて使われることもあります。
さらに「地獄」と続くので、非常に強烈な印象を受けるでしょう。
ところが、その先に「春を見る」という展開になっているので、「地獄の先に見る春」とこれまで「翼」として表現されてきた「力の先にある、抑圧からの解放」が重なります。
具体的には、石田ゆり子さん演じる寅子の母はるが「幸せになってほしいから」とすすめる結婚について、学生時代の寅子が「地獄でしかない」と返すエピソードにインスパイアされたそうです。
「母が幸せだという結婚(地獄)の先に、寅子は弁護士になるという幸せや希望(春)を見出す」という話でしょう。

【2番サビ】100年先のあなたは誰?

誰かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰
繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる
貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ
100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!

さよーならまたいつか!/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

たとえば「母はるを愛したくても、幸せについての考え方が異なるため、心が痛み、涙を流すこともある」といった寅子の心情が描かれているようです。
「誰か」は大学の仲間など、さまざまな登場人物が当てはまるでしょう。
「雨霰(あめあられ)」は「土砂降り、しぐるるやしぐるる」に呼応する表現、「繋(つな)がれていた縄を~噛(か)みちぎる」は「力の先にある、抑圧からの解放」をあらわしています。
「縄=抑圧」は家族や親族関係だけでなく、戦争や学校を含む社会全体にはびこるもの。
「蓋(けだ)し」は法律用語「なぜならば」など、さまざまな意味がありますが、ここでは「まさしく、たしかに」がしっくりくるでしょう。
1番では「虎に翼」の「翼」がフィーチャーされていましたが、2番では「まさしく虎へ狙いを定め、意志を貫け」と自分自身を鼓舞しているのではないでしょうか。
約100年前に初の女性弁護士となった寅子が「100年先の女性弁護士(あなた)に会いたい。女性弁護士の存在が消え失せないでほしい」と願っているようです。

【ラスサビ】わたしとあなたの関係性を大切に

今恋に落ちて また砕けて 離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
今羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ
さよーならまたいつか!

さよーならまたいつか!/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

結局「優三と恋に落ちたことにより、弁護士の夢が砕け、戦争により離れ離れになったけれども、虎のように血の滲んだ唾を吐きながら、翼を広げて飛べ(女性法曹の夢をあきらめるな)」と寅子自身が自分を鼓舞する物語でした。
「生まれた日からわたしでいたんだ」は「自分らしく生きよう」というメッセージと「この曲の最初から米津玄師さんが寅子になりきって主観的に語っていた」という種明かしの両方が考えられます。
インタビューで米津玄師さん自身が語っていたので、最初から即して考察しましたが、本人談がなければ「知らなかっただろ」とネタばらしされても「わたし=米津玄師さん」説に傾いた気がします。
いずれにしても、性別、肩書、立場、属性などによって生じる抑圧を回避するため、「わたしとあなた」に立ち返って向き合うことが大切という、米津玄師さんの考え方が表現されていました。

おわりに

ドラマなどの登場人物の心情に寄り添って主観的に表現する作詞法は王道中の王道なので、朝ドラ主題歌とはいえ、まさか米津玄師さんがこれほどストレートに取り組むとは……という意外性がありました。
しかも、朝ドラ主題歌らしいさわやかなサウンドなので、歌詞のほうで何らかのひねりがあるはずという思い込みをくつがえされたかたちです。
「わたしも変わる。あなたも変わる。お互いを束縛せず、わたしとあなたで向き合う」という関係性はアーティストとリスナーにも当てはまるのかもしれません。
今後、米津玄師さんはどのように変わっていくのでしょうか。

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渡辺和歌
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