音楽

藤井風「満ちてゆく」歌詞の意味&サウンドを考察!映画『四月になれば彼女は』主題歌

藤井風さんの15thシングル「満ちてゆく」(2024年3月15日、UNIVERSAL SIGMA / HEHN RECORDS)は、川村元気さんの恋愛小説を原作とした、佐藤健さん主演、山田智和さん監督による映画『四月になれば彼女は』(2024年3月22日、東宝)の主題歌として書き下ろされました。
同じく山田智和さんが監督を務め、藤井風さんが一人二役で老人と青年を演じたMVも評判の「満ちてゆく」の歌詞の意味とサウンドについて考察します。
https://twitter.com/fujiikazestaff/status/1767188790974796171

藤井風「満ちてゆく」歌詞の意味&サウンドを考察!

構成

  • イントロ
  • 1番:Aメロ~Bメロ~サビ(Cメロ)
  • 2番:Aメロ~Bメロ~サビ
  • 3番:Dメロ~サビ
  • アウトロ

クレジット

  • 藤井風:作詞、作曲、ピアノ、シンセ
  • Yaffle:プロデュース
  • 小森雅仁(Masahito Komori):レコーディング、ミックス
  • 山崎翼(Tsubasa Yamazaki)@Flugel Mastering:マスタリング
  • 山田智和(Tomokazu Yamada):アートワーク、MV監督

映画『四月になれば彼女は』

https://twitter.com/4gatsu_movie/status/1746623330315329878

【1番Aメロ】始まりがあれば、終わりがある

走り出した午後も
重ね合う日々も
避けがたく全て終わりが来る

あの日のきらめきも
淡いときめきも
あれもこれもどこか置いてくる

満ちてゆく/作詞:藤井風 作曲:藤井風

「愛の不在」が描かれた映画の主題歌なので、藤井風さん史上、初のラブソングと意気込んだものの、結果的にこれまでの延長線上に仕上がったという「満ちてゆく」、英題「Michi Teyu Ku (Overflowing)」。
精神科医・藤代俊(佐藤健さん)のもとに、ほぼ初恋相手の元恋人・伊予田春(森七菜さん)から手紙が届き、婚約者の坂本弥生(長澤まさみさん)が失踪する映画ですが、その物語を(登場人物目線で)主観的に、あるいは(アーティスト目線で)客観的に表現するテーマソングの王道パターンではないことがわかります。
実際、藤井風さんは「始まりがあるものには終わりがある。愛は求めるものではなく、既にあるもの。与えるほど、満ちてゆくもの」といったメッセージに昇華したようです。
タイアップ先の物語を忠実に再現するのではなく、独自の世界観を生み出す作風は宇多田ヒカルさんに近いと考えられるでしょう。
とはいえ、「重ね合う日々も~終わりが来る」のパートは婚約者、「きらめき、ときめき」のパートは初恋相手を彷彿とさせ、その狭間で揺れ動く精神科医の心情も重なるところが秀逸です。

サイモン&ガーファンクル「April Come She Will」


また、映画の原作小説名の由来となった、サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)の「April Come She Will(四月になれば彼女は)」はギターバラードですが、ピアノ&シンセバラードになっている点も藤井風さんらしいでしょう。

【1番Bメロ】あれもこれも、それで良かった

それで良かったと
これで良かったと
健やかに笑い合える日まで

満ちてゆく/作詞:藤井風 作曲:藤井風

ピアノは全編で奏でられていて、ローファイなビートなどが重なってくるのは2番からなので、「1番Aメロ」に続き、シンプルなピアノ&ボーカルが染み渡る「1番Bメロ」。
非常にわかりやすい言葉やメロディーでストレートに歌い上げていますが、声質や歌い方が適度にR&Bやネオソウルっぽいので、上質なJ-POPファンの心は穏やかに和むでしょう。
とくに「健やかに笑い合える」の部分は「どこまで高みに昇り詰めるの?(音程が上がるの?)」とクスッと笑える仕掛けになっています。
藤井風さん自身、時代の寵児としてもてはやされたかと思いきや、スピリチュアルな側面が突如クローズアップされるなど、さまざまな「あれこれ」があったかもしれません。
映画の登場人物も、リスナー自身も、各々「あれこれ」あるはず。
日々の悩みや問題、過酷な試練を笑い話として語ることができるようになるのは、人生の「終わり」が近いときでしょうか。
いずれにしても「悲喜こもごも、すべてに始まりと終わりがある」と改めて認識すると、心が安らぐようです。

【1番サビ】空っぽになると満ちる?

明けてゆく空も暮れてゆく空も
僕らは超えてゆく
変わりゆくものは仕方がないねと
手を放す、軽くなる、満ちてゆく

満ちてゆく/作詞:藤井風 作曲:藤井風

毎日「朝~昼~夜」と空模様が変わるように、「森羅万象はすべて常に変化している」という意味の仏教用語、諸行無常のような世界観でしょうか。
「朝(=光、明るいとき)も夜(=闇、暗いとき)も超え、変化を受け入れ、過去への執着や未来への不安を手放すと、心が軽くなり、心が満ちてゆく」と解釈できそうです。
普遍的な表現なので、藤井風さん自身、リスナー、映画の物語など、さまざまに当てはまります。
小説を原作とした映画で描かれている「愛の不在」とは、婚約者の失踪、初恋相手が手紙を送ってきた理由のほか、「そこに愛はあるのか?」といった意味合いも含まれそうです。
「空っぽになることで満たされる」や「老いる=満ちる」は、「急がば回れ」的な形容矛盾とも考えられます。
厳密には「満ちる、満ちた」ではなく「満ちてゆく」なので、ここにも無常観が込められていて、わかりやすい言葉ばかりなのに何重にも解釈できるところがおもしろいでしょう。

【2番Aメロ】愛の本当の意味とは?

手にした瞬間に
無くなる喜び
そんなものばかり追いかけては

無駄にしてた“愛”という言葉
今なら本当の意味が分かるのかな

満ちてゆく/作詞:藤井風 作曲:藤井風

「ローファイヒップホップ・ビート+ジャズピアノ」の組み合わせで一気に華やかになる「2番Aメロ」。
「手に入ると終わる喜び、愛を無駄にする→愛に臆病になる、愛をサボる」といったあたりが映画や小説を連想できそうです。
「1番Aメロ」で紹介した「愛は既にあるもの」という藤井風さんのメッセージを踏まえると、「愛を求めて追いかけているうちはドキドキ感が高まるけれども、実際に愛を手に入れると、既にあることを忘れて喜びを感じなくなってしまう」といったところでしょうか。
たとえば、コロナ禍で「当たり前の日常がどれほどありがたいものか」と感じたことを忘れそうになる時期かもしれませんが、失った経験を思い出すと「無駄にしがちな日常の本当の意味がわかる」かもしれません。

【2番Bメロ】カラカラな心は空っぽではない

愛される為に
愛すのは悲劇
カラカラな心にお恵みを

満ちてゆく/作詞:藤井風 作曲:藤井風

「こんなに愛しているのに、どうして愛されないの?」という悲劇を演じているうちは愛の本当の意味がわかっていないことになるのかもしれません。
既にある愛を無駄にしている(気づいていない、忘れている)ため、愛されたいと願い続ける「カラカラな心」になってしまう悲劇です。
「見返りを求める愛は、本当の愛ではない」と言葉でわかったつもりになっても、実際は恋にまつわるさまざまな感情に翻弄されたのち、ようやく人間愛との違いに気づくものでしょう。
「カラカラな心」は「変わりゆくものを手放す、軽くなる」ことができていないので「空っぽではない」という暗喩的な形容矛盾もおもしろいです。

【2番サビ】仏教的な無常観とキリスト教的な無限の愛

晴れてゆく空も荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を放す、軽くなる、満ちてゆく

満ちてゆく/作詞:藤井風 作曲:藤井風

「1番サビ→2番サビ」で比較すると、「明けてゆく→晴れてゆく、暮れてゆく→荒れてゆく、超えてゆく→愛(め)でてゆく」と離れたパートでもさりげなく韻を踏んでいて、ラップではないものの、2番からローファイヒップホップのビートが加わった理由が腑に落ちる展開です。
「1番サビ」の「変わりゆくものは仕方がないね」はJ-POPと親和性の高いピアノバラードで仏教的な無常観をあらわし、「2番サビ」の「何もないけれど全て差し出すよ」はローファイヒップホップ・ビートでキリスト教的な無限の愛、無償の愛(アガペー)を表現するという和洋折衷ぶりも藤井風さんやYaffleさんらしい音楽的センスといえるでしょう。
こうした音楽的センスが実際に「差し出され、満ちてゆく」というメタ的なおもしろさもあります。

【3番Dメロ】光と闇が生死を超えて繋がる

開け放つ胸の光
闇を照らし道を示す
やがて生死を超えて繋がる
共に手を放す、軽くなる、満ちてゆく

満ちてゆく/作詞:藤井風 作曲:藤井風

「ゴスペル調のフェイク+ローファイヒップホップ・ビート+ジャズピアノ」の間奏のあと、1番のJ-POPと親和性の高いピアノバラードに戻る「3番Dメロ」。
案の定「やがて生死を超えて繋がる」という仏教的な輪廻転生が描かれています。
「光と闇、生と死」のほか、「東洋と西洋」の違いも「超えて繋がる」歌詞やサウンドになっているのは、藤井風さん自身の表現と映画や小説の内容がシンクロしたからではないでしょうか。
最後に繰り返されるサビの歌詞は「1番サビ」と同じ表記になっていますが、厳密には下記の組み合わせでしょう。

  • メインボーカル:ゴスペル調のフェイク
  • バックコーラス:歌詞「1番サビ」
  • サウンド:ローファイヒップホップ・ビート+ジャズピアノ

「ゴスペル調のフェイク+ローファイヒップホップ・ビート」~「ローファイヒップホップ・ビート+J-POPと親和性の高いピアノ」のアウトロで幕を閉じます。

おわりに


「わかりやすい言葉でスピリチュアルな内容が描かれた、シンプルなピアノバラード&ローファイビートなのに、藤井風さんのゆらぎのあるボーカルで歌われるとグッとくる」というイメージでしたが、歌詞とサウンドを併せて考察すると、藤井風さん自身の音楽的表現も、映画や小説の物語も深まるという、まさに「満ちてゆく」楽曲に仕上がっていました。
サウンドそのものは異なるものの、精神性を音楽に落とし込む手法はカルロス・ニーニョ(Carlos Niño)に代表されるLAニューエイジ・リバイバルと通じるものがあり、タイアップ曲でも大人の事情を超越して自身の音楽性をここまで発揮できるのは、J-POPでは宇多田ヒカルさんと並ぶ才能かと思われます。
もしかしたらプロデューサーYaffleさんの手腕かもしれませんが、とくに「東洋思想=ピアノ、西洋思想=ローファイビート」という歌詞とサウンドの合わせ技が秀逸でした。

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渡辺和歌
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